人生と仲良くなるセラピー


人生と、仲良くなれた。

自分にとって、
ゲシュタルトって、
端的に言うと、何だろう?って
考えていました。

「人生と仲良くなれた」
という言葉が出て来ました。

そのココロを、
書いてみます。

それ以前のわたしにとって「人生」っていうのは、
近寄り難く、
腰が引けるものだったような気がします。

わたしの横を大きな河が、ゆったりと、
淡々と、流れていた。

わたしは、岸にいて、その大きさ、
ゆったりだけれども確実なその流れに、
圧倒されるばかりだった。

今思い返すと、そんな光景が見えてくる。

「私」と「私の人生」の、
その当時の関係。

「人生」なんて言葉も、
軽々に使うことは出来なかった。

ゲシュタルトを知って、
ワークを重ねていくにつれ、
「人生とは、体験すること。それそのもの。」
なのかもしれない。
と、半信半疑ながら、
知っていきました。

今この瞬間に、
一瞬一瞬に居て、
そこに、十全に関わる。

そして、振り返ると、
一瞬一瞬の点が、連なって、
線が出来ている。(私の後ろに)

わたしは、
生まれてから死ぬという
直線の上に居ると思っていたけど、
そうではなかった。と、気づきました。

わたしの前には、線はない。

引かれている線はないのだから、
自分で一歩一歩、
歩を進めていくことになります。

その一歩一歩、
その度に、
選択をしている。

その選択をする時、
「今ここ」で気づき、
自分自身の感覚を信頼し、
何かを選び取っていくことになります。

ゲシュタルトセラピーには、
「今ここ」へ戻してくれる
様々なアイデアがあります。

一つは、身体を入り口にすること。
身体感覚は、嘘偽りがない。

そして、そこには必ず、(だいたい)
メッセージがある
ということを、知った。

身体を通じて、
自分の中の自分と対話をしていくことができる。

その時の最善の答えを導き出すとき、
自分の中の自分は、
頼もしい存在だと気づいた。

自分の中に相談相手がいる、
というのは、
目から鱗であったが、
これほど、安心することはない。

次第に、「人生」が、わたしに優しくなった。

わたしは、恐る恐る人生に近づいていった。

いや、実際、
「人生」から離れたことなど、
一度だってないのだけれど、
わたしにとってはそのような感覚があった。

そして、実際に起こっていたのは、
わたしは、わたしと、仲良くなった。

ということだった。

わたしは、いつの時点かで、
自分を嫌いになり、
自分で居ることに嫌気がさしていて、
「死」のその時まで、
「時間を潰す」と、思っていた。

何をしても、自作自演の田舎芝居。

と、感じていた。

これは、好きになれない脚本を渡されて、
いつまでたってもしっくりこない役を、
いやいや演じる。そんな感覚があった。

ゲシュタルト以降は、
脚本も、役も、ない。

自分自身でよかった。

すーすーする感じは、あったけれど、
その手持ち無沙汰感も、新鮮であった。

わたしは、自由、だった。

同時に、責任があり、だけど、愛、があった。

拠り所、よすがのない感じが一瞬は
したのだけれど、
そんな時、自分自身に聞いて、耳をすませば、
身体の中を丁寧にさぐれば、
今自分の中で何が起こっているのか、
そして、どうしたいのか、
を、掴んでいくことが出来る。

それを、恐る恐る口に出して、
自分の身体に響かせ確かめる。

波紋が広がるのが分かる。
しっくりきているか、
どこか違うか、
身体の感覚に聞き耳をたてる。

それを繰り返す。
起こっていることに信頼を置いていく。
起こっていることに、ついていく。

最初は、リスクを冒すような感覚があるが、
そこに信頼を置いてみる。

(以前は、思考の中の「恐怖」というスペースから
様々な指示が「私」へ出されていた。)

何が起こったかと言えば、
人生の責任を自分に引き寄せて、
人生の主体者を自分に据えていた。

ゲシュタルトセラピーのワークを受けることで、
その練習をしていたのだった。

ゲシュタルトセラピーは、
セラピーとは言うけれど、
治療モデルと言うには、少し違う感じがある。

プラクティスモデル、
練習や学習、実験、実践モデル、と言う方が、
わたしにはしっくりくる。

そして、ワーク(セラピーのセッション)で、
その練習をしていると、
結果的に、セラピーになっている。

それは、何より確実なセラピーである。

起こっていることは、とても単純なこと。

自分自身の欲求の核と出会う体験。
そして、
その欲求を満たすことが出来ると知る体験。

ただそれだけ。

ただそれだけなのに、
自分自身に力が戻ってくる。

いつしか人生という大きな河へダイブする勇気が
備わっている自分に出会う。

これは、ちょっと、わぉ!なことだ。

「ゲシュタルト的な気づき」の練習は、
セラピーにもなり得る、し、そして、
同時にコーチングでもある。と言える。

ワークを終えると、
エネルギーが湧いている、
パワーがこの手に戻っているのがわかる。

自然と、歩き出している。

アタマと、カラダと、心、魂と言ってもいいかもしれないが、
すべてがひとまとまりとなって、「今ここ」の状態で
事に当たる。
これは、非常に頼もしい感じがする。

そして、人生と仲良くなった。

人生を今、生きている。と言えるようになった。

今となっては、当たり前のこの感覚。

そして、やっぱり、時々わからなくなるとき、
わたしは、ワークを受ける。

そして、そんな場がある、というのは、
わたしにとって、とても、いいことだ。
と、思っています。

そして、私自身が誰かのそんな場所で在りたい。
そうで在れたら、なにより幸いだと思っています。

お会いできたらうれしいです。
ありがとう。