ゲシュタルトセラピーについて

ゲシュタルトセラピーって?

 ゲシュタルト療法は、精神分析医フレデリック(通称フリッツ)・S・パールズ博士(1893-1970 Frederick Salomon Perls, M.D.)と、ゲシュタルト心理学者であった妻のローラ・パールズ(Laura Perls)によって創られました。フリッツ・パールズは、ゲシュタルト療法を「いまーここ」中心の「実践的な心理療法」であると表現しています。

 


ゲシュタルトセラピーをお勧めしたい訳

 私(佐野珠美)は、ゲシュタルト療法が50年前に当時の米国の普通の人々のニーズにぴったり合い、歓迎され、発展し、そして今もなお発展し続けているように、現在の日本でごく普通に暮らす人たちが自分の人生を生きたいと願う時、つまり、自らの中に答えを見出していくことが必要とされている今を生きていくとき、必ずや力となる一人一人のツールとなり得ると信じています。

 

 ゲシュタルトセラピーのアプローチがどのようにセッションの中で働くのかについては、このページの後半でご紹介しています。よかったら読んでください。

 


ゲシュタルトセラピーのことをもう少し詳しく

 ここからは、ゲシュタルトセラピーの成り立ちや、その発展したアメリカでの時代背景や、また、ベースとなる哲学や考え方をご紹介したいと思います。私がトレーニングを受けたゲシュタルトネットワークジャパンの代表百武正嗣氏の著書から表現をお借りしたいと思います。また一部は、パールズ自身の著書「記憶のゴミ箱」(訳:原田成志氏)も参考にさせていただきました。ありがとうございます。

 

参考書籍:

「気づきのセラピー はじめてのゲシュタルト療法」百武正嗣著 春秋社

「記憶のゴミ箱 パールズによるパールズのゲシュタルトセラピー」

  フレデリック・パールズ著 原田成志訳 新曜社

 

 ゲシュタルトセラピーを体験と共に理論でも理解したいと思われるなら、ぜひ手に取って読んでみてください。ご自分の体験をなぞるように理解が深まるかもしれません。

  


パールズという人の生きた時代 ゲシュタルトセラピーが発展した背景

 1893年にドイツ、ベルリンのユダヤ人街で生まれました。1927年ウィーンで精神分析学の訓練を受けます。この時にウィルヘルム・ライヒにも分析を受け、後に身体中心型療法のアプローチを取り入れることになります。

 

 1934年にはヒトラーの台頭を嫌ってオランダへ逃れ、南アフリカに移住して精神分析学研究所を設立します。1936年には、精神分析学会に論文を提出するためにドイツへ戻り、フロイトに会見しましたが、数分の会話で失望に終わったようです。その後、彼は精神分析学とたもとを分かち、1946年にアメリカに移住します。彼はここでゲシュタルト療法を発展させ、1952年にゲシュタルト・セラピー・ニューヨーク研究所、シカゴのクリーブランド研究所を設立します。

 

 ゲシュタルト療法が注目を浴びるようになったのは、彼が1964年4月、カリフォルニアのビッグサーにあるエサレン研究所に移り住んでからです。当時エサレンはアメリカ社会の矛盾に敏感に反応した若者たちのメッカとなりつつあり、ここで彼は数多くのワークショップを開催しました。それからというもの、彼の噂を聞いた人々が、自由の地であるエサレンに集まるようになりました。

 

 この時代はベトナム戦争後の人間性回復運動がカリフォルニアで起こり、武器を捨てて花と平和を掲げた若者たちのライフスタイルが有名になり、ヒッピーという言葉が流行しました。それは政治の世界だけでなく心理学の世界にも訪れていたのです。

 

 強いアメリカが崩壊していく時代でもあり、社会の矛盾と個人の内面の葛藤が団子のように重なり合っていました。そのような時代背景とパールズの実存主義的な実践論は若者たちが求めていた新しい価値観に基づいた生き方と符合しました。

 

 この時期にパールズの新しい心理療法は「ライフ」誌に取り上げられ、突如、全米で有名になりました。彼のもとには多くの探求者が集まりました。そこでパールズはクライアントが人々の前で自分自身と会話する「エンプティチェア・テクニック」を編み出しました。 

 

 

エサレン以降のパールズとゲシュタルトセラピー

 1964年パールズは、日本、イスラエルなどを巡る世界旅行の後、カリフォルニア、エサレン研究所に居を構え、エンプティーチェアの技法に代表されるグループワークとデモンストレーションを数多く行い、全米の注目を集める。

 エサレン研究所が人間の潜在能力回復運動の中心地として大きな注目を集めるにつれて、ゲシュタルトセラピーもエサレンを代表するセラピーとして多くの信奉者を獲得していく。フリッツ・パールズが用いたエンプティーチェアや多数の観衆の前でワークするホット・シートと呼ばれるやり方は、それまでのニューヨークなど東海岸で行われていた対話と気づき、個人セッションを中心としたゲシュタルトセラピーの技法とは大きく異なっていた。

 

 一方で、ゲシュタルトセラピーとはつまりエンプティーチェア・テクニックでありインスタントなセラピーであるという浅薄な理解を生み、ゲシュタルトセラピーの哲学的な基盤や革新性、正統に精神分析を批判し、乗り越えたホリスティック(全体性)な心理療法であるという事実はあまり注目されなかった。エンプティーチェアのテクニックはうわべだけ模倣されて自己啓発セミナーなどで使用され、ゲシュタルトセラピーの信頼を傷つけた。フリッツ・パールズとローラ・パールズはゲシュタルトセラピーがテクニックだけを 鵜呑み(イントロジェクト)にされることに警鐘を鳴らした。

 

「記憶のゴミ箱 パールズによるパールズのゲシュタルトセラピー」訳者あとがきより

  フレデリック・パールズ著 原田成志訳 新曜社

 

 パールズが編み出した様々なアプローチは、現在でも自己啓発系のセミナーなどで部分的に模倣され使われていますね。もうそのソースがわからなくなっていますね。何よりパールズの編み出したアートが本質を突いていてパワフルだったからなのだろうと想像します。最大の配慮とともに気づきをもって安全に、また主催者側の利益だけでなく、参加者の利益の為に運用されたら良いなぁと思います。

 

 

 

ベースとなる考え方

ゲシュタルト心理学、コンタクト(身体中心型心理療法)、現象学・実存主義、禅

 ここからは、ゲシュタルトセラピーを構成する要素と、それがセッションの中でどのように働き、あなたにとって好ましく機能する可能性があるのかを書いてみますね。

 

◆ゲシュタルト心理学について

 「全体は、部分の総和より偉大である。」そして、

 図と地の仕組み「気づきの選択の原理」。

 

 

 パストゥールの細菌の発見や、分子構造の理解など、当時の世界では全てのものを分解し、解析することで原理を理解できるという考え方(還元主義)が主流でした。

 ゲシュタルト心理学は、世界をどのように知覚するかを研究する心理学ですが、その原理は、そのような個別化、細分化する還元主義的な考え方とは反対の立場をとりました。すなわち、人間は世界を「ゲシュタルト(全体性、意味あるもの)」として知覚するという視点です。

 

 パールズは、気づきの原理をこのゲシュタルト心理学の基本概念から取り入れました。あなたは世界の「何か」に注意を向けます。それが何かを認識しようといます。徐々にそれがあなたにとって明確な意味あるものになって行き<図>、それ以外のものは背景として沈んで行きます<地>。その時<地>になっているものは殆ど存在していないかも同然になっている場合もあります。その場合、あなたの世界は、その時<図>になっているものだけということが言えます。あなたは無意識かもしれませんが、何を<図>に上らせるかは、実はあなたが選択をしています。

 

 セッションの中では、この事実自体に気づいていくことにより、選択していなかった<地>の部分があることに気づいていくことを勇気づけています。当然の事実ですが、世界はもっと広いのです。そして、「一択のみ」の世界から「複数の選択肢がある」世界、「選択できる自由」を持っている自分に気づいていく道筋を見出す探求をしています。そして、「自由」にはもれなく「責任」がついてきます。その塩梅についてもセッションの中で探求していくことになります。

 

◆身体中心型心理療法について

 「なぜ?どうして?」よりも、「どのように?」

 

 パールズに重要な精神分析的影響を与えたのはウィリヘルム・ライヒ(Wilhelm Reich)です。ライヒは「筋肉の鎧」という概念を強調し、クライアントが自分の悲しみ、恐怖、怒りを感じなくさせるために筋肉を緊張させて閉じ込めてしまうことに気づきました。それは自分を脅かす世界から自分を守る方法でもあるのです。人は筋肉を緊張させて「鎧」のようにして自分を守るわけです。人生の早期にそれを習慣化させるとことで、人は自分のパーソナリティーを確立させます。その防衛機能の働き方が個人のパーソナリティー(性格)であるととらえ、「性格の鎧」という表現を用いました。

 

 ライヒは、クライアントの緊張を取り除くために身体に直接働きかけたのです。クライアントに触れることもありました。これは精神分析が主流であった心理療法の世界では画期的なことでした。精神分析が中心の時代に、ライヒが提唱した身体中心療法がパールズに強い影響を与えたのは当然のことと言えるでしょう。

 

 ゲシュタルト療法では、「コンタクト(接触)」という概念を重視します。身体と精神の統合(ゲシュタルト)を目指したゲシュタルト療法は、ライヒの精神と身体の関係と同じく、一元論という立場を取り続けています。

 

 フロイトの精神分析に対して、パールズは、「何を抑圧、回避しているのか」という《内容》が重要なのではなく、《回避の形態》が重要なのであると指摘します。セッションの中でファシリテーター(セラピスト)が、「どのように?(回避している)」「どのような方法で?(感じないようにしていますか)」「どうやって止めていますか?」「どんなふうに中断・邪魔をしている?」と聞くのはこの為です。

 

 それは、「なぜ」を理解しても、クライアントのその後の思考パターン・行動パターンに影響を与えないからです。「なぜ」の問いは、気づきの矢印を「思考」の領域へ向かわせます。アウェアネスは発動しにくいのです。つまり、「本人が気づいていないことに気づく」には至らないのです。パールズはゲシュタルト療法で「どのように(How)?」を使うことで、クライアントの存在全体へ問いを投げかけるのです。それにより誘発される主に身体の動きや反応を体験的にみていくことが可能になります。セッションの中で、実験していくことを促すのはこの為です。

 

◆実存主義と現象学の考え方

「実存は本質に先立つ」

どこか遠くではなく、「今ここ」

 

 ゲシュタルト療法はその哲学背景に現象学・実存主義の原理を取り入れています。パールズが「ゲシュタルトは実存主義セラピーである」とも述べているほどです。実存主義とは、個人のユニークな存在は個人の独自な経験によって成り立っていると主張する哲学です。

 

 この実存主義に影響を与えたのは、現象学という哲学の流れです。現象学とは、本質を知る上で「いまーここ」に現象として表れていることを正確な記述を通して理解しようとする学問です。本質は見えないところにあるのではなく、「いまーここ」に表れているとします。パールズがフロイトの精神分析と決別して独自のゲシュタルト療法を創り出したのは、過去の問題に原因を求めて分析することをやめて、「いまーここ」に答えがあるという立場に立ったからでした。「いまーここ」に座っているクライアントがすべてを表現しているのです。

 

 セッションの中で、「それ(今あなたが経験していること)を描写することができますか」と促すのはこの為です。今まさにクライアントの中で起こっている事実そのものに関わっていく為です。そこにやさしい気づきを向け、更に、出来れば、正確さを加えて描写することを促します。それは、セラピストに説明する為に行うのではなく、誰よりもあなたがその今にいつもよりもう少し長く関わる時間を取る為です。表現する(口に出すことも含め)ことはあなたがあなたの真実に触れる機会をもたらす可能性があるのです。

 

◆禅との関わり

 気づき:可能性を発見すること

 

 ゲシュタルト療法には東洋の哲学が生かされています。パールズは1960年代に京都の大徳寺を訪れて参禅を体験しています。彼自身も、禅の体験で得た経験から、「気づきとは、禅で言う<悟り>と同じことである」と述べています。英語では「分かった」「気づいた」という表現を”Ah-ha”(アハ)と言います。このアハ体験が気づきなのです。

 

 「学ぶとは可能性を発見すること」とも言っています。自分自身に気づきの眼差しを向けていくことで、今まさに体験していること(それが何であれ)から学ぶことができます。驚くべきことに、今まさに体験しているのが「行き止まり」であっても、そこへ気づきという道具を持って向き合えば隙間が見え、空間が広がり、呼吸が起こり、可能性を見出す体験へつながることがあります。ゲシュタルトで「わからない」や「行き止まり」の感じが歓迎されるのはこの為です。

 

◆バランスよく目配りされたゲシュタルトセラピー

 

 ゲシュタルトセラピーを構成する主たる四つの要素について、本当にざっくりとご紹介しました。このようにパールズ自身の辿った人生と分かち難く、また時代の要請と共に育まれ、様々な分野からの影響を受け、エッセンスを取り入れ、歴史を経て、ゲシュタルトセラピーはバランスよく形づくられています。